想念観察について

自分自身を知る究極の方法・想念観察

誰もが願う平和と幸福は、なぜ実現しないのか?

今、世の中は激動の時代を迎えています。政界でもようやく、改革の動きがみられるようになりました。
しかし金融恐慌、教育崩壊、環境破壊等、社会のさまざま分野で行きづまりが顕著となる一方で、人々の意識は不安・恐怖で不安定度を増し、凶悪な犯罪も多発しています。
大きな壁を越えるため、「次の一手」が求められていますが、果たしてそれは、改革を掲げる政治家が成し遂げることなのでしょうか。
私たち善良な庶民は、《自分と家族・友人が平和・幸福であり、世の中が良くなるように》と願いながら、毎日を過ごしているのに、なぜそれが実現しないのでしょうか?
悪徳政治家、強欲な企業家、環境破壊に無策の自治体、荒れる若者が消えないでいるせいなのでしょうか。
そのように考えている方にお訊ねします。
《自分と家族・友人が平和・幸福であり、世の中が良くなるように》と、何を心がけながら生きていきますか?
私たちの毎日の生活は、瞬間瞬間の「ことばと行動」からでき上がっています。
「良いこと・幸せ」のために、あなたはどのような基準で自分の「ことばと行動」を選んで生活しているのでしょうか?
ちょっと考えてみて下さい。




自覚なき「ことば・行動」

人から何かを頼まれる・・・瞬間、断ろうか、引き受けようか迷います。
断るにしても引き受けるにしても、沢山の想念(考え)が沸き起こります。
「断れば、悪く想われる」
「引き受けてあげよう」
「引き受ければこの前の借りがなくなる」
「今、引き受ければ、今度何かを頼みやすい」
「この人にやってあげても、なにも見返りがない」
「なにも感謝しない人だから、やってあげたくない」
「何か断る言い訳はないか?」
「利用されるのは腹が立つ。いつも利用ばかりする人だ」
「いつも世話になっているから、断るのはカッコ悪い」
「いいわよ。何とかなる」
・・・・などなど、一つの行動を起こすにも、瞬間、さまざまな思い(思考・感情)が通過します。

多くの人は、こうしたさまざまな思い(想念)の中から、どれを選択しているかについて自覚していません。
そればかりか、この時、「自分にとって都合の良いものばかり選ぼう」という思い(想念)にはまり込み、その思いのまま行動していることにも気付いていません。
あなたは、いっ時は《自分と家族・友人が平和・幸福であり、世の中が良くなるように》と願っていても、日々の生活に追われる中で、その願いはどこかへ忘れ去られていきます。




自己の都合による「ことば・行動」

さらに重要な点は、その《自分と家族・友人が平和・幸福であり、世の中が良くなるように》という思いも、自分勝手なイメージで作り上げたものに過ぎない、ということです。
つまり、自己中心的な考えで作り出した〈平和と良き社会実現のための言動〉とは、《自分に都合良く解釈された言動》であり、お互いを生かしきることのできる《真の愛による言動》ではないのです。

真の愛は、全てを生かしきります。
情は、結果的に全てを殺してしまいます。情はエゴに由来するからです。

つまり、今まで、地球上で“良い行為”とされていたものは、実際には「情がらみ」のものであり、一見、良いように見えても、その結果は、人間の進化を妨害し、依存させ、停滞させるということになるのです。

例えば後進国への援助物資、農業政策や金融機関への過保護な国税の支出なども、長い目で見れば、対象者をどれほど怠惰にさせるか、はかりしれません。
過保護に育てた子供の性質が、そのよい見本です。

これらは他人ごとではありません。
私たちは人間の進化を妨害し、依存させ、停滞させるという過ち、いわばある種の「犯罪」を毎日のように積み重ねてきているわけですが、それに気付いている人はどれくらいいるでしょう?
「あなたも犯罪人の一人です!」・・・と言われたら、どうしますか?




あなた自身の自覚と行動にかかっている!

もし、あなたが真に《平和と幸福・良き社会》を願うならば、あなたは《あなた自身の過ち》を、《あなた自身で見つけ出し》、《あなた自身で修正》していく必要があります。
それは他人には出来ないことです。親子でも夫婦でも出来ません。
その上、過ちを他人に指摘されても、エゴはあらゆる想念を使って、正当化、言い訳をしますから、すぐその気になって自身をごまかして澄まし顔をしてしまいます。

自分自身で、自己の想念を観察していくと、その自己欺瞞(自己をだますこと)の素晴らしいテクニックにはしばしば感嘆させられます。
しかしその一方で、自己欺瞞の正体をあばくことも出来ますので、やがて透明な自己、ごまかしのない真の自己に出会えるようになります。

さて、この先、もしあなたが、更に犯罪人(誤った行為)を続ける予定なら、少なくとも《平和・幸福であるように、世の中が良くなるように》の看板だけは、降ろした方がよいでしょう。
ご都合主義による、中途半端な「善人」はやめることです。
その方が、むしろ世のため人のためというものです。
誰が見ていなくとも、自分自身のことはあなたの中の「真のあなた」が知っていますから、ごまかしはききません。
そして、
「どんなツケ(罰)がきてもいい。自分のお尻は自分で拭くから勝手にしたい!」
・・・という看板をあげて下さい。

何をどう選択しようと自由ですし、そのように現実は動いていきます。
それは宇宙の法則であり、見落とし無くツケはまわってきて清算されますのでとても公平です。
たとえ「悪」と思える事を選択しても、あなたが心底自分の愚かさに気付き、それを受け取った周囲の人が目を覚ますきっかけになったのであれば十分生かされた事になります。




すべては観察から始まる

もし、あなたが真に《あなたの過ち》を、《あなた自身で見つけ出し、修正したい》と思うならば、次の方法を参考にして下さい。

その方法とは、いつでも、どこでも、だれでも、タダで出来る方法・・・です。
自分で自分自身を客観的に観察していく【想念観察】という方法です。
例えば、車の故障箇所や不具合を発見するには、まず、点検しなければ判りません。
科学も全て観察することから始まり、発展してきました。
医学も電子顕微鏡の開発により、驚異的に進歩しました。
全ては《観察する》ことで、さまざまな謎が解明されていったのです。
観察しなければ、つまり、盲目では、何一つ明らかにならなかったことでしょう。
盲目の音楽家はいても、盲目の科学者はほとんど存在しないゆえんです。

人間の誤った「ことば・行動」を発見するのも、この《観察》によるのです。
ことばと行動の元には無自覚に取捨選択しているさまざまな「思い」があります。
人間の心の流れの一部始終を《観察する》・・・より具体的には《徹底的客観視》ことで不具合が発見されます。

この方法を実践した者は100%変化を体験します。
また、人間は【小宇宙】と言われている神秘的な存在ですから、《観察》も無限の奥深さがあり、ここまでで終わりという事がありません。



想念観察の具体的方法

人間の心(想念)には絶え間無く、さまざまな想いが流れています。
プラス / マイナス・善悪、喜怒哀楽、原因のつかめない感覚的感情(イライラ・躁欝)などの想いです。
この想念の流れを、何の判断もくわえずに、観察し尽くすのです。
つまり、瞬間瞬間、流れる想念に気付いていること(観察=気付き)・・・です。

観察を始める初心者がまずぶつかるのは、「むずかしそ~~っ!」「私には出来そうにない!」という、想念です。
この想念に同化してしまい、始める前から諦めてしまいます。

初心者は、まず 「むずかしそ~~っ!」「私には出来そうにない!」
という想念を、ただ観察して、気付いて、サヨナラ、バイバイしてしまえれば、まずは成功です。
こうしたエゴのいいわけ想念のとりこになって、止めてしてしまうことが決してないように。



気付けば修正されていく宇宙のシステム

善行を積むのでなく、悪に染まらないように力むのでもなく、あなたはただ、自分のアンバランスな要素に一つ一つ気付けばいいだけなのです。
これは「気付き=修正(変化)」という宇宙の基本法則なのです。

たとえば、目の前に大きな落とし穴があるとします。
穴に気付いた人は、瞬間に避けて通って、落ちることはないでしょう。
気付いた瞬間、自動的に回避・修正する作用が働きます。
気付いた瞬間、全神経、全細胞が、回避・修正に向けて一斉に調整に入り、そして瞬時に完了します。
逆に言えば、気付いていないと、次から次に穴に落ちることになります。

人間の心の中の動きにも、同じことが言えます。
初めは自分の心の中にどんな思い(思考・感情・感覚)があるか、ただそれを観察し、気付いていれば良いのです。
表面的な善行の背後に、打算や不信感、欲望といった「思い」が働いていたとしても、気付いていればいいのです。
・まず、気付くことで、その「思い」を対象化しますので、エネルギーを与えずに済みます。行動になる前に回避されるわけです。
今までのあなたは、この点に無自覚であったため、暴走行為を繰り返していたわけです。
・また、気付くことで、それらを中和する想念も自動的に流れてきます。
「子供にはいちいち注意しないと何もできない」→「自立と自覚を促すためには、突き放すのも愛」
・更に、これらの繰り返しにより、いつのまにか「思い」(想念)の種類、感情の起伏が、少しづつ「穏やかで広い視点に立ったもの」に変化してきます。そしてその変化にしたがって、人間関係や環境も改善されてくるのです。



心(意識)の仕組み

私たちが一般に「心」と呼んでいる人間の意識には、エゴ意識(顕在意識)、潜在意識、無意識があり、それぞれに働きが違います。

《エゴ意識(顕在意識)》
日常皆さんが“心・感情・想い”として知覚しているもので、[自分自身]と錯覚しやすい“意識”ですが、真のあなたでは無く、物質エネルギーに属するものです。

《潜在意識》
顕在意識(エゴ意識)が現象界(現世)から感じたり、収穫した知識、感覚などを記憶しておく、いわば図書館のようなところです。
過去世からの全ての記憶も収納しています。

《無意識》
あなたの真の正体で“霊意識”とも言われています。
この霊意識は、エゴ意識の情報を潜在意識から取り入れ、その情報により、エゴ意識に影響を与え、現象界に変化をもたらします。
また、霊意識自体もこの図書館からの情報により学び、成長していきますので、エゴ意識も大切なお役目を持っていることになります。
〈火事場の馬鹿力〉とか〈思わずやってしまった!〉など、エゴ意識(思考)なく、つまり、考える以前に、思考無しに、瞬間に発揮される行動などは、霊意識から直に表現されることがほとんどです。



人間の仕組み

上記の3つの意識がセットになり、「意識体(霊)」として、肉体に宿っています。
人間の本質は肉体ではなく、意識体(霊)なのです。
肉体は、三次元世界を生きるのに必要な感知器具(五感)や道具(手足、臓器など)を全て装備していますが、「意識体(霊)」と言われる運転者が「生命」というスイッチをいれないと作動することは出来ません。
従って「霊」が去ると、肉体は単なるむくろに成り、朽ち果て、元素に戻ります。

この「生命スイッチ」をもつ意識体(霊)は、一つの肉体に一体ではなく、複数の運転者(意識体)が共同で肉体という自動車を運転します。

皆さんはとても高尚な考えを持ったり、低次元の幼稚な考えに変わったりと、ころころ考えが変わりませんか?
そんな時は、あなたという肉体を複数の運転者(意識体)が入れ替り立ち替わり使っているというわけです。
いわば肉体はレンタカーのように利用されているのです。
高尚な想念(想い・心)が流れているときは、それ相応の成熟した意識体(霊)が肉体を使っており、低次元の考えを持っているときには、未熟な意識体(霊)が肉体の運転者になっているということです。
それぞれの意識体(霊)は、肉体に備えられている五感や道具(手足など)を使って、このこの世での学びを体験するのです。
以上の説明で、エゴ意識(心)と、それに由来する想念(感情、思考)が、実はあなた自身ではなく、無意識という全く自覚出来ない存在が真のあなたである・・・ということが、理解できたでしょうか?



善悪に振り回される「心」は真の自分ではない

想念観察とは、
1)想念があなたではないということを知る旅であり、
2)真のあなた(霊)を自覚する旅、自分自身を知る旅、でもあるのです。

現在のあなたは、心が自分であると思い込んでいるために、善悪に揺れ動く心を、何とか善のみに統一しようと懸命に努力します。
しかし、それらの努力は実らないでしょう。
なぜなら、想念は波(波動)であり、常にプラスとマイナスが交代するからです。
想念から悪(マイナス)を排除することは、絶対に出来ません。

それどころか、波の性質により、善に振り子が振れれば振れるほど、あなたは悪を引き付ける、という悪循環に陥ります。
(ただし、悪(マイナス)を行動によって現実化しないことは容易に可能です。)

真のあなた(霊)は、善悪を越えた境地にあるので、エゴ意識(顕在意識)にとってマイナス(悪)に感じられるものでも、実際は素晴らしい役目、作用を起こす愛であることを知っています。

宇宙は二極性(善悪、男女、喜怒・哀楽・明暗・光闇など)で、バランスし、進化していきます。対照的なものが存在しないと、《確認=気付き》が出来ないからです。

闇が無ければ光が判りません。
病気のつらさがなければ、健康のありがたさが判りません。
汚いものがないと、美しいものが感じられません。
不味いものがないと、おいしさが判りません。

あらゆるものは、比較対照することによって、自覚・確認することが出来るのです。
したがって、マイナス(悪)も悪ではなく、人間の成長に必要不可欠なものですので、決してなくなることはないし、無くすことも出来ないのです。

想念観察は邪念、怒りや嫉妬といった否定的な想念、悪業などを「排除」するのでなく、判断せずに冷静に観察する姿勢を貫くことにより、真の自分である意識体(霊)の立場に到達し、身を置こうとするものです。



観察の第一ステップ「想念から離れる訓練」

さて、いよいよ想念観察実践の第一段階は、エゴ意識を自分だと思っている状態・・・「心に浮かぶ感情や思考が自分のものだ」と錯覚している状態から離れることから始めます。
なにも難しいことではありません。錯覚していることに気づけばよいのです。
つまり、どんな思いが心に浮かんでは消えていくのか、気付いていればいいのです。

(例)
・憎しみ(あいつ、死んでしまえ)、うぬぼれ(私は頭が良い! 私は善人! 私は謙虚!)、怒り、嫉妬、自己嫌悪など、さまざまな思い(想念)が心に去来しても、決して喜んだり反省したりしない。
・あらゆる判断に耳を貸さず、ただそれらの思い(想念)をじっと目だけになって観ているだけ。
・もし怒りや嫉妬の想念が浮かんできた時、これに続いて「こんなこと考えるなんて最低」といった、自分を責めたり、反省したりする想念が浮かんでくるが、それらの想念も「判断」であるから、じっと観ているだけにする。
・どのようなプラスやマイナスの思い(想念)が心の中を流れても、決して流れの中(感情の渦)に巻き込まれずに、客観視に徹すること。

禅や、その他の瞑想法で陥りがちなミスは、「悪想念を排除して、強制的に無になろう」とする点にあります。
「こんなこと考えるなんて最低」「不快で苦痛な思いは排除したい」という想念の裏には、「善人でありたい」「不快なものからは目を背ける」というエゴ意識が強く働いていることに「気付いていない」ワケです。
あなたの意識状態のアンバランスが「修正」されない限り、不快な想念は決して無くならない、と知って下さい。

想念観察は24時間体制で行えますので、常に意識して、想念を観察するようにして下さい。
最初、この「客観視」は訓練を要しますが、そのうち習慣になります。
日中、行動しながら行いますと、かなり意識が散漫ですぐ忘れてしまいます。
はじめは出来れば一日のうち数分でも、静かに座って集中的に想念観察を行なって下さい。
慣れたら、なるべく多く、行動しながら平行して観察を行なって下さい。

こうして、ひたすら想念を観察することに専念しますと、想念(感情・思考)が本来の自分でないこと、ただの心のおしゃべり、ゴタクに過ぎないことが理解されてきます。 あなたを観察する目(視点)は、ゆっくりと表面のエゴ意識から離れ、「真の自分」に近づいていきます。



観察の第二ステップ「中和作業」

観察がある程度進むと、次第に心の中が落ち着いてきます。
それと同時に、いつまでも消えないしつこい「思い」(想念)の存在が気になります。
昔からあったのですが、あなたの心の中のガラクタがあまりにも多すぎて、気付かなかったのです。
このしつこい想念の原因を究明し、中和していく作業が、次のステップとして必要になります。
例えば、怒り、不安、恐怖、嫉妬といった思い(想念)をひたすら観察していますと、それがなぜ起こされてくるのか、という気付きの想念もやってきます。
往々にして、その原因(根っこ)は意識がバランスを崩している状態であることがわかりますので、
・ひたすら思い(想念)に同意せず、ただ他人のおしゃべりとして放っておく。
・その思い(想念)に感謝する。
・その思い(想念)に逆らって行動する。
といった作業で中和(バランスの修正)をしていきます。

例えば、ある人に対する不快感(あんな人、嫌い!)があまりにしつこい時、自分の優越意識が原因であったと気付いたとします。
気付くと同時に、その人に対する感謝の念も生じてきますが、保守的なエゴ意識は、元のあなたに戻そうとしますから
・相変わらず流れる不快想念をひたすら客観視する。
・不快想念が浮かぶたびに、心の中で「ありがとう」と感謝する。
・不快想念が浮かぶたびに、あえてその人に近づき、親しく声を掛けてみる。
特に、行動するのが最も効果的で、穴とのアンバランスは短期間で修正されます。修正することは、実はそれ程難しくないのです。
難しくなるのは、《難しい》という想念、早く修正しなければ、という焦りの想念にはまってしまっているから、難しくなってしまうのです。

つまり、《早くすること》は難しいかもしれませんが、《毎日コツコツと気付いていくこと》は難しくないのです。
淡々と観察の作業を続けていけば、自然と様々な気付きが起こり、気付きに対する《悩み・苦しみ、改善の努力などの想念》も流れてきて、しばらくすると改善されていることになります。
そしていつのまにか、あなたは穏やかで平安な境地にいることにも気付きます。
不安・恐怖の無い生活環境も整っていくことでしょう。
深い認識の想念も、たびたびあなたを訪問するようになります。



想念観察はすべて内的作業

想念(感情、思考)を客観視するこの方法は、心の中の自問自答形式で行われます。
答えはすべて、あなた自身の中に見つけ出せます。
ですから想念観察に熟達している人間は、外(他者)に「参考資料」は求めますが、「答え」まで求めることは決してありません。
自分の言動はすべて自ら納得して行なっているものですから、責任転嫁も起こりません。
もし、外に責任や原因を求めるようなら、それは観察の甘さ、未熟さを暴露しているのです。
責任転嫁する自分に気付いた時、それを想念観察の未熟さのバロメーターとして下さい。

想念観察が地球人類に浸透するようになれば、対立がなくなり、人類の長年の願望であった恒久平和が実現します。(やがて究極段階に至って、宇宙意識との一体感を達成します。)
想念観察こそが、恒久平和を作り出すたった一つの道なのです。

その平和は、まず自身の心の中に訪れ、
               家庭の中に訪れ、
               学校に訪れ、
               社会に訪れ、
               国に訪れ、
               地球に訪れます。

さて、平和の頂上目指して一歩一歩登りましょう。
百歩を一度に飛ぶのは難しいですが、一歩 一歩 一歩 一歩・・・は難しくはないのです。
他人と比べる必要もありません。
登る景色を楽しみながら、ゆっくりと急いでいきましょう。